友だち追加数

1.17

今でも明け方に目が覚めて偶然五時四六分とかだったら思い出す






こないだの事のようでもあるし、随分昔の事のようにも思う






当時、岡本の山の方に住んでた




結婚した次の年の出来事だった






お金無いから小さなワンルームに住んでた






斜面に立ってるマンションだったんでトラックかダンプカーが誤ってマンションに突っ込んだんじゃないかってその瞬間は思った








あまりの音と振動に、生まれて初めて腰が抜けた





情け無いけど明るくなるまで布団から出れなかった









暫く布団の中でじっとしてたら




同じマンションの人たちの声が聞こえてきたので




漸く家から出てみたら、呑気に犬の散歩をさせてる親子が居た









状況を尋ねると『大きな地震で、長田の方やら火事が出て大変みたいよ』って人ごとみたいに言われた







ポーアイに嫁の実家があったので、心配なので行ってみようということになった






行く道すがら六甲に住んでる友人の安否を確かめに行ったら、旦那が地震の直ぐあと家を出ていったきり戻って来ないという




後で分かるんだけど、その旦那は当時好きな女性が居て、その人の安否を確かめに一目に散長田に向かったんだってさ






その後、この夫婦は離婚して旦那はその女性と再婚するんだけど、また別れた






女の友人の方は、これもまた違う人と再婚して今は子供が居るらしいけど、僕はバツ2の旦那としか会ってない






この夫婦だって、もし震災がなかったら今でも一緒に暮らしてるのかも知れない






そういう非日常的な事で、旦那の方は火が付いたんだろう






で、その六甲の友人を尋ねた後、阪急六甲付近で当時働いていた店のオーナー夫婦に偶然出会って、自分らはこれから東京に避難するから、連絡があるまで自宅待機と言われた






電話回線は壊滅で、携帯電話も何も無い時に、偶然にも会えたなんてほんまに奇跡的だった






縁のある人ってそういうもんなんだって、嫁が言うてたのを覚えてる







その後、水道筋に住んでる友人を尋ねた







この子のお母さんが年末に交通事故で亡くなってて、妹と二人で文化住宅に住んでいた







四十九日も終わらないうちの地震だったと思う











着いてみると案の定、その文化住宅は崩れていた






ほんまにぺしゃんこ状態だった








それを呆然と友人姉妹が見ていた






僕は大事なものを取り出すように友人に言ったけど、潰れた家の下に女の子を入れる訳にも行かず、結局僕が崩れた家の中に入って、お母さんの骨や、貯金通帳なんかを探しだした






今考えると、もし余震があって崩れて来たら一巻の終わりだったかも知れないけど、その時は不思議なことに全然怖くなかった






その友人姉妹は今はそれぞれ、幸せに暮らしている









でも、今はあまり会ってはいない





其処を後にして、歩き出したんだけど地面に垂れ下がった電線や倒れた家が歩道側にせり出してきてて実に歩きにくかったのを覚えている







三ノ宮付近に近づいた時、水道管が破裂して噴水みたいになってるのを見た







写真を取ってる人も居た







『歴史の教科書に載るんだろうな』とかぼんやり考えた









情報が全くないって言うことがこんなに心細いことなのかと痛感した









今なら携帯電話やネットで情報を瞬時に手に入れることができるから、無駄な動きも少なくて済むjんじゃないかな?








道行く人に色々聞きはするものの、誰もが不確かな情報ばかりを口にする








どうにかこうにか、港島大橋まで辿り着いたけど、行ってもいいけど帰れないかも知れないという







橋が落ちるかも知れないから・・・







歩いて渡ってたら、途中で下の海が見えるくらいズレてる場所があった







あれは怖かったな









ポーアイ側に渡ったら、凄い泥が・・・






液状化現象だった







生まれて初めて見る光景だった










でも、僕は非常識だけど買ったばかりのブーツが汚れるのがめちゃめちゃ悲しかった








どうにか嫁の実家に着いたら、もぬけの殻






近くの小学校に行ったら嫁のお母さんが居た







嫁を見つけるなり、泣いて抱き合ってた








それまで、嫁とお母さんが仲良くしてるのを見たことが無かったから不思議な気持ちで見てた







みんな無事だって分かったので、自分らの家に帰ろうって事になった







其処にいても良かったんだけど、僕はどうも集団生活とかが苦手で・・・







その時点で、夕方だった








結構疲れていたけど、トボトボ引き返した









帰りは寄り道をしなかった分だけ幾らか早く着いた








家で寝るのは怖いというので、近くの小学校に避難した








小さな教室にすし詰め状態で人が寝ていた









僅かに空いたスペースに僕らは毛布を敷いて寝た









何時余震が来て、逃げないといけないかも知れないからと洋服はもちろん靴まで履いて寝た








夜中、何度も余震が有った








その度、お年寄りが泣き喚いた








これには正直参った









僕らは二日間だけ小学校にいて家に戻った









家に戻ったら、途端に食べ物や水の心配が始まった







水を汲みに近くのコカ・コーラの営業所みたいなところに数日通った









『大変な事になったなぁ・・・』







そんなことばっかり考えてた











そうして暮らしてるうちに電話が通じるようになって







西宮の先輩夫婦の家に居候させて貰った






どれくらい居させて貰ったろう?










随分と長かった様な気もする








嫁さんの店が再開するということで岡本の家に帰った







僕は未だオーナーから連絡は無かった






結局僕が勤めてた店が再開するのは5月だった








自宅待機の間何をして暮らしてたんだろう?







さっぱり覚えて無い







多分、あんまりいい光景を見なかったんだろうな








店が再開してびっくりしたのは






お客さんの数が随分減った事







引越しした人





亡くなった人





経済的な理由で来れなくなった人








色んな理由だとは思うけど







ほんまにお客さんの数が激減した







当然、オーナーもいい顔する筈もない







居心地は決して良くはなかった







でも、そのうち又新しいお客さんも付いてきて







その後三年近く居た








でも、辞める頃にはお店はかなり経営的にしんどいようだった






此処だけじゃなかった






何処も大変そうだった











もし、震災が無かったら?








若いうちに店出したりしてポシャってるだろうな・・・








そう考えるとぞっとする







生意気だったし






技術的にもまだまだだったし






絶対頭打ってる















でも、もしかしたら違うかも知れない








そんな事は分からない









でも、今思うのは、あの震災も僕の人生においてはやっぱり必然だということ







遠く山口の田舎に生まれた僕が






親戚もない神戸で震災に会うっていうことは








オギャーと生まれた時から決まってたんだな







病気になった時もそうだった






なんと不幸なんだと嘆きはしたけど






今では病気に感謝すらしてる







あの震災でも病気でも僕は生かされた







生きてやらないといけない事が有ったんだろう







今もってそれが何なのかは分からないけど







今日も僕は生きていて







震災で亡くなった方々に手を合わせました






生かされてる方の人間は






やはり理由があって生かされてるんだろう




b0174913_15441032.jpg







今日は僕の尊敬するS先生が来てくれた





此処で書いた様な事を偶然にも話した







先生も同じようなことを考えるそうだ





生きる




生きている




生かされている





似ているようだけど





全然違うと思う





今日を感謝するなら




生かされていると思うようにしようと






改めて思った
by pabes | 2012-01-17 11:57 | Comments(7)
Commented by おかっち at 2012-01-17 20:56 x
僕は、インフルエンザをひいて、凄い熱で線路を歩いて帰ったんだ。おじいさんに追い抜かれて、あの人より早く歩きたいと焦ったんだ。
瓦礫の下敷きになった人を横目でみて、戦時中みたいな長田を横目に歩いたんだ!17年目に初めて、優しい兄の口から語られました。考えさせられました。
Commented by pabes at 2012-01-18 05:52
>おかっち

此処に書いた事の一連を夢で見たりすることがある

起きたらグッタリやわ

皆、それぞれに思いが有るな

でも、こうして生きてるってことは何か意味が有るはず

返事はそういう事です
Commented by おかっち at 2012-01-18 11:11 x
ありがとうございます。意味ある人生にして、生き抜いてみせますよ!
Commented by きよ at 2012-01-20 02:13 x
うん。先生うちも、阪神の地震の時を思い出すとめちゃめちゃ怖くなる。うちは恐怖でか10日間くらい高熱がでて寝込んだんよ。家がつぶれたからおばぁちゃんちで。学校に連絡ができなかって友達になくなったと思われてて学校にいったら生きてたんやーって泣きつかれたのを覚えています。そのとき犬をこうてたんやけど学校には犬は連れていかれへんかもといわれて、ねーちゃんとわかめラーメンたべながらめちゃめちゃ泣いてたら、親がおばあちゃんちにいこうかってゆうてくれて、ほんまにうれしかったのを覚えてるわ。家がなくなってしまったんは悲しかったけどな 長いコメントごめんな先生。
Commented by きよ at 2012-01-20 02:13 x
うん。先生うちも、阪神の地震の時を思い出すとめちゃめちゃ怖くなる。うちは恐怖でか10日間くらい高熱がでて寝込んだんよ。家がつぶれたからおばぁちゃんちで。学校に連絡ができなかって友達になくなったと思われてて学校にいったら生きてたんやーって泣きつかれたのを覚えています。そのとき犬をこうてたんやけど学校には犬は連れていかれへんかもといわれて、ねーちゃんとわかめラーメンたべながらめちゃめちゃ泣いてたら、親がおばあちゃんちにいこうかってゆうてくれて、ほんまにうれしかったのを覚えてるわ。家がなくなってしまったんは悲しかったけどな 長いコメントごめんな先生。
Commented by pabes at 2012-01-20 03:28
>きよ
読んでて全部、光景が眼に浮かぶわ。わかめラーメンの味までしてきたわ。ほんまに、犬とか居ったら一大事やなぁ・・・。おれも、あの時は犬も子供もまだおらんかったけど、今、避難すると成ったらって考えたら、途方に暮れるわ・・・。ああいう経験ってした人しか分からん事あるし、それでも又人それぞれ受けとめ方や感じ方も違うしなぁ。家が無くなって、また新しい家建てた人とかって、二重ローンとかなんやろ?ほんまに大変な事やわ・・・。東北の方は、規模が凄いからとローンが無くなったとか言う話聞いたりする時、阪神大震災の時に被災した人にとっても、個々は状況一緒と違うんじゃないかな?って思ったりするんやけどな・・・。あの経験から何かを学べたんかなって、何時も1月17日に成ったら問うけど、良く分からないままやわ
Commented by きよ at 2012-01-23 23:16 x
うちの中学のときの先生も、建てたばかりの家がつぶれて、ローンだけのこったって半泣きで話してた( ´△`)


My Happy Life


by pabes

プロフィールを見る
更新通知を受け取る

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

Pabes hair

〒658-0044
東灘区御影塚町2-7-12
 
 ☎ 078-841-1155
     
    予約優先制
      

ブログパーツ